心の奥底でずっとBlogを書きたいな書きたいなと思っていました!
そんなタイミングが早朝に来てしまったようですおはようございます!(・∀・)
…というのもですね、今日は休みなので早起きして一目散に冷蔵庫に向かいビールを手にして飲んでるんですけどね、3月という月は俺にとっての人生におけるリセット時期というか原点回帰時期でありまして…『振り返って見直してリスタート』(原点回帰)と決まっているのです。
古くからお付き合いのある方々は、13日の金曜日、5月10日、12月15日に俺だったりGHOSTを思い出してくれる方々もいるみたいで…
ある意味とても…というか、とてつもない心の支えとなっております。
ありがとう。
そんなこんなで3月なんですが…
3月といえば、すぐに頭によぎるのが8年前の東北地方太平洋沖地震。
過去を少し語らせてもらいますが…
思い起こせば、当時、関東の埼玉県戸田市住みの職場新宿区ってやつでした。
夜勤だった俺は14時46分は睡眠時間まっただ中で、ルッくんも2歳、嫁もまだおりました。
関東地区とは言えどだいぶ揺れたのを覚えております。
揺れを感じてすぐに思った事は阪神淡路大震災とは違って横揺れだったという事、あのドスンっ!!と落ちる様な感覚ではなかったという事。
寝室であまりにも良く揺れるなと寝ぼけながら布団にくるまっていたら、元嫁がルッくんを連れて寝室に来て完全に目が覚めました。
急いで外に出て安全を確保し、外に出ても揺れている家々を眺めていました。
元嫁は気が動転して泣いてたっけな。
揺れが収まって部屋に戻ると棚からは物がいろいろと落ちていて、それを拾いつつもその後の仕事に備えて準備しなければという気持ちでいました。
シャワーに入ると…
余震が続くためかガスがすぐに止まり、何度も家の裏のガスを再起動させるボタンを押しに行った記憶があります。
なんとかシャワーを終えてリビングに戻った頃にはニュースの内容が津波にかわっていた。。。。。。
映画でもなんでもない、ドス黒い濁流が街を飲み込んで行く様子。
そのニュースを見ながら、人が飲まれていないか?大丈夫か?と、悪い事を望む訳ではないけど兎にも角にも目を凝らしてしまいテレビから目を離せなかった人もいたと思います。
宮城県出身の元嫁は母親の安否確認。
海よりではなかった為、津波の心配は無かったそうだが母校は遺体安置所としてつかわれたりしたけど、つかわれるだけつかわれて補助的なものがないんだ…と、元義母が漏らしていたのを覚えております。
職場に出ても新宿であろうが余震は続き、職場内に毎日アラートが鳴り響く度に、ここでは死にたくないって…職場仲間と話していた記憶もあります。
でも、実際の被災地の人はそんなものじゃないって…
俺のできること…
誰かを守る曲ってのを書きたいと思って…
『Kousei』として微力ながら残せた歌がこの曲でした。
うん
震災からの一年後の2012年3月11日にはソロ音源も出す事ができたんですよね。
アルバムタイトルの『世界の明日へ。』というものは震災に対して綴ったものだったのでどうしても3月11日に出したく思い、普通はリリースしないという休日に音源発売日を決めました。
今さっき久々に聴いたら…あまりにも俺にとっては全てがリアルに表現できていて『恐ろしい歌だな…』と思ってしまい、涙が出ましたが。。
そんな大震災のあった3月11日から8年後…
その日も俺は元気でした。
ちょうど集金日という事もあり、お得意様からお金を頂きつつ…
14時46分にはコンビニに車を停め、政府発信の追悼式を観ながら黙祷だけ捧げる事ができました。
日本が復興を願い誓う日と共に、俺にとっての原点回帰の日と勝手に決めさせてもらっております。
そんな俺が三重県に戻ってきたのは6年前の3月10日。
今の仕事を始めたのも6年前の3月11日。
震災は極めて良いものではないんだけど、俺にとっては忘れもしない今後を迎える良い日にしていきたい日と決めています。
俺が俺らしく人にできる事をして生きていきたい。
そう思える様になったのも、沢山沢山悪さもした俺が言うのもなんですが、今更ながら皆が居てルっくんが居てくれていたおかげってやつなんです。
ありがとう。
俺も頑張るから、みんなにまたどこかで逢えたらいいなって心から思いますよ。
また逢う日まで。
さようなら。
そんなタイミングが早朝に来てしまったようですおはようございます!(・∀・)
…というのもですね、今日は休みなので早起きして一目散に冷蔵庫に向かいビールを手にして飲んでるんですけどね、3月という月は俺にとっての人生におけるリセット時期というか原点回帰時期でありまして…『振り返って見直してリスタート』(原点回帰)と決まっているのです。
古くからお付き合いのある方々は、13日の金曜日、5月10日、12月15日に俺だったりGHOSTを思い出してくれる方々もいるみたいで…
ある意味とても…というか、とてつもない心の支えとなっております。
ありがとう。
そんなこんなで3月なんですが…
3月といえば、すぐに頭によぎるのが8年前の東北地方太平洋沖地震。
過去を少し語らせてもらいますが…
思い起こせば、当時、関東の埼玉県戸田市住みの職場新宿区ってやつでした。
夜勤だった俺は14時46分は睡眠時間まっただ中で、ルッくんも2歳、嫁もまだおりました。
関東地区とは言えどだいぶ揺れたのを覚えております。
揺れを感じてすぐに思った事は阪神淡路大震災とは違って横揺れだったという事、あのドスンっ!!と落ちる様な感覚ではなかったという事。
寝室であまりにも良く揺れるなと寝ぼけながら布団にくるまっていたら、元嫁がルッくんを連れて寝室に来て完全に目が覚めました。
急いで外に出て安全を確保し、外に出ても揺れている家々を眺めていました。
元嫁は気が動転して泣いてたっけな。
揺れが収まって部屋に戻ると棚からは物がいろいろと落ちていて、それを拾いつつもその後の仕事に備えて準備しなければという気持ちでいました。
シャワーに入ると…
余震が続くためかガスがすぐに止まり、何度も家の裏のガスを再起動させるボタンを押しに行った記憶があります。
なんとかシャワーを終えてリビングに戻った頃にはニュースの内容が津波にかわっていた。。。。。。
映画でもなんでもない、ドス黒い濁流が街を飲み込んで行く様子。
そのニュースを見ながら、人が飲まれていないか?大丈夫か?と、悪い事を望む訳ではないけど兎にも角にも目を凝らしてしまいテレビから目を離せなかった人もいたと思います。
宮城県出身の元嫁は母親の安否確認。
海よりではなかった為、津波の心配は無かったそうだが母校は遺体安置所としてつかわれたりしたけど、つかわれるだけつかわれて補助的なものがないんだ…と、元義母が漏らしていたのを覚えております。
職場に出ても新宿であろうが余震は続き、職場内に毎日アラートが鳴り響く度に、ここでは死にたくないって…職場仲間と話していた記憶もあります。
でも、実際の被災地の人はそんなものじゃないって…
俺のできること…
誰かを守る曲ってのを書きたいと思って…
『Kousei』として微力ながら残せた歌がこの曲でした。
うん
震災からの一年後の2012年3月11日にはソロ音源も出す事ができたんですよね。
アルバムタイトルの『世界の明日へ。』というものは震災に対して綴ったものだったのでどうしても3月11日に出したく思い、普通はリリースしないという休日に音源発売日を決めました。
今さっき久々に聴いたら…あまりにも俺にとっては全てがリアルに表現できていて『恐ろしい歌だな…』と思ってしまい、涙が出ましたが。。
そんな大震災のあった3月11日から8年後…
その日も俺は元気でした。
ちょうど集金日という事もあり、お得意様からお金を頂きつつ…
14時46分にはコンビニに車を停め、政府発信の追悼式を観ながら黙祷だけ捧げる事ができました。
日本が復興を願い誓う日と共に、俺にとっての原点回帰の日と勝手に決めさせてもらっております。
そんな俺が三重県に戻ってきたのは6年前の3月10日。
今の仕事を始めたのも6年前の3月11日。
震災は極めて良いものではないんだけど、俺にとっては忘れもしない今後を迎える良い日にしていきたい日と決めています。
俺が俺らしく人にできる事をして生きていきたい。
そう思える様になったのも、沢山沢山悪さもした俺が言うのもなんですが、今更ながら皆が居てルっくんが居てくれていたおかげってやつなんです。
ありがとう。
俺も頑張るから、みんなにまたどこかで逢えたらいいなって心から思いますよ。
また逢う日まで。
さようなら。